第15話 親切なインドマダム
なんでも聞いてみよう。
インド系スーパールルに行った時のことです。
駐車場がいっぱいで、夫は店から遠く離れた所へ駐車することに。
そのため私は店の入り口近くで車を降りました。
夫を待っていると、目の前に民族衣装サリーを着たインド人の素敵なマダムが立っていました。
チャンス!!とばかりに日頃感じていることを聞いてみました。
「スミマセン、私は日本人ですけど、どうしてインドの女性は髪が美しいので
しょうか?特別なシャンプーがあるのでしょうか?」
すると彼女は親切に「店で普通に売られているシャンプーですよ」という返事。
さらにご親切に店内で教えてくださるという。
そうしているうち夫が来て、インド人マダムとにこにこ話している私にびっくりしていましたが3名で店内に入ることに。
インド人マダムにシャンプー売り場でおススメの品を教えていただきました。
帰国の際にもお土産に買いましたが、私は残念ながら現在グレイヘアです。😢
次はカレーの話しです。
夫の職場にインド人の女性がいました。その方にカレーについてお聞きしたところ、スーパーを案内おススメのカレー粉(いろいろ香辛料がブレンドされた缶入り)を教えていただきました。
『聞くは一時の恥・・一生の思い出』となりました。
*58歳の英語の話せないオバサンの3年間(2011年3月~2014年3月)のドバイ生活の記録です。
*国際コミュニケーション キーワードは ・度胸 ・好奇心 ・サービス精神
第16話 花屋のジュンとマリー
外国人のユーモアのセンスにびっくり。(@_@;)
レジデンスの近くでよく利用したアンティークショップに併設した花屋があった。
確かさくらクリニックの近くだったと記憶しているがーーー。
店長は男性でフィリピン人のジュンだった。
日本の文化に詳しい彼だった。
お祝いの花束を注文した際、「白い菊を混ぜる?」と聞いた。
私がダメダメと言うとげらげら笑って「日本人は葬儀の時(クリスチャンの十字架のゼスチャーをして)菊を使うんだね」と言ったりした。
また、ある日のこと店内に女性がいた。私はジュンに彼女のお名前は?と
聞くと「ボンサイ」と言う。
えっ?聞き返すと「小さいから」と。小柄な彼女と日本の盆栽をかけたようであった。私は「天才でしょう」と言ったけど・・。
名前はマリーといった。
そのマリーが言った。「あなたの旦那さんの職場の日本人男性紹介してほしい」と。その返事私は「ごめんね。夫の職場の男性は皆既婚者です」
するとマリーの返事は「no problem」・・・????
ジュンともう一人の男性スタッフは会計の際よく歌っていた。
高橋真理子の fou you の「あなたが欲しい~あなたが欲しい♪♪」のフレーズを。
また、ふたりともゲイのようで私より夫が店に来ることをとても喜んで
カウンターを太鼓のようにパンパンたたいて喜びをあらわにした。
私と夫への対応の違いがあとで理解できた。
ほんとに今、思い出しても楽しい店だった。
ユーモアは世界をつなぐコミュニケーションツールと感じた。!(^^)!
*58歳の英語の話せないオバサンの3年間(2011年3月~2014年3月)のドバイ生活の記録です。
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第17話 美容院へ行く
仕上がりはどこも同じ?
ドバイ初の美容院はお隣のマダムご紹介のレジデンス内にある美容院へ行った。
そこはリンが予約して店まで一緒に行ってくださり私が日本人で最近入居したことなど説明していたようだった。一番重要な私が英語が話せないことも。
リンが帰っていよいよ私の番がきた。
たしかヨーロッパ系の美容師で、私が英語を話せないということでカットの
デザイン雑誌を見せて「どれにする?」って感じで。「こんな感じ」と決まった。
その辺がフレンドリーなフィリピン人とは違っていた。
フィリピン人は英語ができなくても冗談も通じていたのに・・・。
会話もなくいよいよカット。緊張してBGMとか覚えていない。静かな雰囲気のなか髪を切る音だけがシャキ・・シャキと。
私は肩までのセミロングだった。それをショートにした。仕上がりに不安はなかった。カットは世界共通だし。
だが順調かと思ったが、シャンプーでアクシデントが。
私は日本でもシャンプー台が合わないととても首が痛く我慢できなかった。
そこも世界共通・・・苦しい!! 😢😢😢
それで訳を話して(何語で?)シャンプーを中断してもらった。
結果すぐにブローして終了。
仕上がりは問題なくきれいにできました。
リンへその旨ご報告、お礼を言って部屋に戻りました。
次回からはドバイ在住友人おススメの韓国人の美容院へ。
そこはBGMも韓流ブーム「冬ソナ」で聞き覚えのある優しい雰囲気の音楽が
流れスタッフも日本人対応も慣れていた。
シャンプー台は恐怖なのでカットのみで安心して利用できた。
その友人は現在もドバイ在住だがほんとに感謝している。
初めは予約も友人がしてくれたが、3回目からは自分で予約帰国までそこを利用した。
1度だけ好奇心でレバノン人の経営する美容院へ行った。
そこは私が縁あって我が家で書道を教えたレバノン人のおススメだった。
店はホテル内にあって、中はとても賑やかだった。
多くのお客様がいて、しかも仕上がりの髪型がそれぞれ豪華!❢超個性的!!
なにコレ?まるでパリコレ?(@_@;)
紅白歌合戦の舞台裏かと錯覚するようなハデ!!(@_@;)
そこにいる私は仕上がりも「壊れた市松人形」のようにみすぼらしく見えた。
でも、まぁ楽しい体験をさせていただきそれもいい思い出。
あとで聞いたことだがレバノン人は見栄っ張りだとか。
イヤイヤ日本人の私も個人的にそうだがレベルが違っていた。
というわけで、私はだいたいにおいて日本人御用達の店はなるべくさけて
せっかくなので、自分で見つけて生活を楽しんでいた。
それが「趣味」だったかもしれない。
せっかくの海外生活 美容院も楽しもう
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3月)のドバイ生活の記録です。
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第18話 まな板の上の鯉ならぬ豚のゆくえ
ドバイ到着8か月後のことだった。風呂場で転んで病院へ行った。
有難いことに今回もいつもお世話になっている通訳の友人が初診と2回まで付き添ってくれた。リハビリからはひとりだった。
病院はレジデンス近くのAmerican Hospital 。
院内の売店には大きな鮮やかな風船🎈🎈🎈が・・・なにコレ珍百景?病院?
見舞客だろうか?これまた大きなバスケットに大盛りのお菓子に大きなケーキを持っている。
やっぱりどこか違っている感じ。痛みも忘れてしばし観光気分。
さて、いよいよリハビリ室へ。看護師は女性でロシア人。
いろいろ説明を受けた後ベッドに上がるようにいわれた。
そこまでは私も英語を理解できた。
問題は次からだった。
看護師は「あお向けになって」「横向いて」・・いろいろ言ってきた。
よくわからない私は、厳しい顔つきの彼女の顔色を窺いながら
「こんなですか?」・・「あっ違った😅」と、もうまな板の上の豚!
状態。
さすがに彼女に言われた。
「次からは通訳を連れて来るように。」😞!!
心配してくれる友人、夫だったが私はこの後も一人で通院した。
そんな私に彼女はまた、ひとりで来たの?!!という顔をした。
が、いつの間にか怖かった看護師の彼女も私をファーストネームで呼んでいた。
それによく笑っていた。(私のことが笑って許せるようになった感じ)
最後、手が伸びるようになって、首がグルグル回るようになった時、ハイタッチをしてくれた。ヤッター!(^^)!
言葉の壁を超えお互いの達成感を共有したのだろうか?
厳しい彼女の顔は世界共通の天使のような笑顔の看護師に変わっていた。
身も心も軽くなった私は、帰り道風船を手にして歩いてみたい気持ちだった。🎈🎈・🎈
激痛も一生忘れることのできない思い出に変わった。
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3月)のドバイ生活の記録です。
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第19話 郷に入っては郷に従え
病院へ行くその2
インド人のテニスコーチとテニスをしてる最中足を捻挫?したようだった。
夫とふたりでRashid Hospitalへ行った。
受付のあと、待合室は夫と別々だった。診察室でもひとり。心細いがここは
ドバイ。
郷に入っては郷に従えだ。お世話になっているUAEの歴史、文化、宗教に敬意を払って生活するのは当然のこと。
不安ながらもそう思って夫のいる方を眺めたりしていた。
診察室へ呼ばれ症状を聞かれた。また痛めた時刻も。
レントゲンを撮り終え、医師の説明があり異常なしとわかった。
ホッとしていると看護師がひとこと言われた「Go home」。
私は支払いとか薬を聞いたが、その返事は笑顔で「Go home」とそれだけだった。
あとでわかったことだが、外国人も国立の病院では救急医療費が無料だとか。
何よりも地元UAEの病院で診察受けたことが貴重な体験であった。
初めての海外、一番の不安要素だった医療の不安が払拭された1年目のドバイだった。
2年目からは日本人医師(福田淳子先生)にお世話になった。
*いつも当ブログを読んでいただき感謝します。
なお、ブログにあります記事内容外国人も国立の病院では救急医療費が無料
は滞在中(2011年3月~2014年3月)のことで現在の医療事情はご確認お願いいたします。
*58歳の英語の話せないオバサンの3年間(2011年3月~2014年
3月)のドバイ生活の記録です。
*国際コミュニケーション キーワードは ・度胸 ・好奇心 ・サービス精神
関連記事 病院へ行くその1
第20話 良薬口に苦し
第18話、19話と病院の内容でしたので、今回は身近な
アーユルヴェーダの紹介です。
ドバイ生活2週間頃の出来事です。
日本での出国準備からドバイ到着まで緊張で疲れが出たのだろうか?
チクチクと胃痛を感じ日本から用意した胃腸薬がなくなりかけた時、夫が職場のインド人にそのことを話したら、職場の庭に自生している「ニームの木」の葉を煎じて飲むことをアドバイスしてくれた。
夫は職場からニームの葉を摘んできた。🍁 🍁 🍁・・
週末、レジデンスのインド人の電気担当者が部屋に来た際、その葉を見せた。
そして聞いてみた。すると彼はキッチンの方で煎じ方を説明、やはり薬草のようだった。
私はその葉を煎じて飲むことに。とても苦かったことを覚えている。
その効果は??だが、胃痛で病院へ行くことはなかった。
忘れられない植物となった。
日本の花屋で「ニームの木」をみるたびにドバイに着いた日から帰国までの日々のことを思い出す。
インド人が教えてくれた本場のアーユルヴェーダ。
*「ニームの木」を検索すると共通して次のような説明がある。
ニーム利用の歴史は、4500年ほど遡り、インダス文明最大の遺跡モヘンジョダロからは集められたニームの葉がいくつも発見されています。中国には漢方があるように、インドにはアーユルヴェーダという民間療法があります。アーユルヴェーダの医師たちは広大なインドの地を巡り、数多くの薬草を研究し治療に役立てましたが、中でもニームは心臓病、糖尿病、関節炎、皮膚病など、あらゆる病気に効く万能薬として、アーユルヴェーダの最も重要な[薬木]として位置づけています。
そういえば、小さなスーパーの薬品コーナーに「ニームオイル」とかが置かれていた。
また、3年目インドへ行った際「KHADI(カディ)」の有名なニーム石鹸をムンバイの友人にいただいた。
🌸🌸🌸
乾燥したバラのつぼみ(ローズティー)、カミモールや生のミントが安価で売られそれを暮らしに生かす日々は、ほんとにドバイの贅沢な日常といえるのかもしれない。
*58歳の英語の話せないオバサンの3年間(2011年3月~2014年
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第21話 新しい英会話スクール
英語学校ブリティッシュカウンシルをやめて新しい英会話スクールを考えました。
それはレジデンス近くにある「Wafi Mall」にあるショップを毎日一軒ごとに入ってスタッフと一言でも会話することです。
もちろん日本人の品格をもって、常に見えないタスキを掛けてです。
タスキには「ミスワールド」ではなく「ミセスJapan・・日本のオバサン
代表」・・って感じ。でです。
モールはレジデンスからスーパーカルフールへ行く際通るので何かと
都合がいいかと。
そこはドバイモールやエミレーツモールのような賑やかさはないものの上品さが漂い高級感溢れるものから庶民的なイギリス老舗スーパーマーケット
MARKS & SPENCER等ショップのスタッフもそれなりにいい感じで、「英会話スクール」にピッタリでした。
良しと思ったらGo!!
まず入ったのが、たしか店名は「Salamサラーム」?という日本の百貨店のようなショップだった。
店内はとても広くまさに高級百貨店。
静かで客もまばらなので、日本人のオバサン・・(マダム)は目立ってしまう。しかも入り口は細長い赤い絨毯のようなものが敷かれていたと記憶している。
少し奥に行くとその周辺を美しい女性が香水を手に何名も立っている。
全員私を見ている。
キラキラ✨✨✨した中をドキドキ、ワクワク、キョロキョロしていると、
アクセサリー売り場の方から優しく声をかけてくれた女性がいた。
その彼女が後に私の英語の先生になってくれた。とても優しく名前はルーシーだった。
フィリピンの出身でドバイに来て30年ということで砂漠から大都市へと発展
していくドバイの歴史を知り尽くした彼女だった。
年齢は私と同じくらいかと。
「何かおさがしですか?」と彼女。私はコーヒーカップを見せてほしいと言うとバッグや靴のコーナーを過ぎて奥の方に食器売り場があり、ティーセットがディスプレーされていた。
それがなんと日本のブランド「ノリタケ」だった。
ん~~~ノリタケ。
彼女ルーシーは「日本のトップブランドで・・・・。」と丁寧に説明。
でも私は日本の我が家にもあるし・・・。
せっかくのドバイ、そこでわざわざ日本の食器を使う気にはなれなかった。
理由を述べ丁重にお断りをして帰った。
買わなくとも笑顔を絶やさずさすがの接遇にとてもうれしくなった。
はじめてお会いしてお互いの自己紹介をして楽しい有意義な第1回目の英会話
スクールとなりました。大成功!!!!(^^)!
🌸英会話スクールブリティッシュカウンシル関連過去記事
第9話 忘れられないドバイの警察官 - 国際コミュニケーション
*58歳の英語の話せないオバサンの3年間(2011年3月~2014年3月)のドバイ生活の記録です。
*国際コミュニケーション キーワードは ・度胸 ・好奇心 ・サービス精神