第8話 リビアの生徒
憧れの短期留学気分で臨んだ英会話スクール ブリティッシュ・カウンシル
授業は「MIEKO answer MIEKO question」と椅子取りゲームのような感じで
10代~20代の中に混じって緊張しながら頭も体もグルグル回っていた感じ。
まるで外国のデイケアーにいるようでした。😞😞・・😊
印象に残るできごとがありました。
休み時間に突然リビアの女性が泣き出しました。
先生が肩に手を置いて優しく「どうしたの?」と聞くと、
「昨日、家が焼けた」と。「学校終わったらカナダへ行く」と言いました。
後で気が付いたけど、彼女たちはカダフィ大佐の関係者だったように思う。
リビアでの生活の様子を携帯画像で見せてくれましたが、豪華な宝石をたくさん身に着けて黒いアバヤ(民族衣装)によく映えていました。
リビア→ドバイ→カナダ・・・今頃どこでどうしているのかと思い出します。
どうか平和に暮らしていますように。
日本の幸せを感じた日でした。
あっ、私は英語は話せないけどしっかり彼女たちへ気持ちを伝えていました。
泣いている彼女たちへウォータースタンドからコップに水を入れてあげました。
*58歳の英語の話せないオバサンの3年間(2011年3月~2014年3月)のドバイ生活の記録です。
*国際コミュニケーション キーワードは ・度胸 ・好奇心 ・サービス精神
9話 忘れら第れないドバイの警察官
ブリティッシュカウンシルを紹介してくださったお隣のマダム、リンさんは
ご親切にバスでの通学方法も調べてメモをくださいました。
それで、せっかくなのでタクシーの安いドバイでしたが、バスも経験することに。
バス停にバスが停まるごとに、ドキドキしながらドライバーに地図を見せ確認。いよいよ乗車。
ドライバーにブリティッシュカウンシルの地図を見せると「Ok、Ok、」と
自信ありげで「ここに座るように」とドライバーの近くの席をススメ、着いたら合図していただくことに。
しばらくして「着いたよ」と教えてくれたので、不安のなか親切にされ、感動で(はじめての外国小さな親切にも大きな感動を覚えるのでした)おもわずチップをお渡しするとバスは公共機関ということでにこにこ笑顔でお断りに。
私も丁寧に何度も「Thank you(そこだけは英語で)」と言って降りました。
・・・?すぐに恐怖心が。
景色がこれまでのブリティッシュカウンシルの街と違いカモメが⁉
そうです鳥です。
カモメが飛んでいるのです。
さすがに好奇心ではいられません。
ドバイ滞在1か月。土地勘も全くありませんでした。
後でわかったことだが、そこはドバイクリーク沿いにあるイギリス大使館でした。バスドライバーはブリティシュと見て勘違いしたのでしょう。
そもそも後でわかったことですが、出稼ぎで来ているインド、パキスタン人とかあまり地図は得意ではないようでした。
(英語の話せないオバサンと地図の読めない人の関係は厳しいと納得)
私は泣きたくなりました。
大使館は高い外壁に囲まれてよくある大使館の光景でピストルをポケットに
しまった兵隊のような人が周りを囲っていました。
その兵隊さんに恐る恐る近づき私は地図を示し場所を尋ねました。
(脳みそにあるったけの単語をつなぎ合わせ)・・なんとか通じたようでした。
足の長いアラブ系の警察官(あとで知りました)は、すぐに「No Problem」と言ったかと思うと、交通の激しい道路の道向かいに立っている警察官に
トランシーバーで連絡。すぐに交通整理をはじめました。
手信号で車を止め私を反対側へ渡してくれました。
(長い脚に長い手を広げてとてもかっこよかったです。)
反対側の警察官がタクシーを止め、ドライバーに私の目的地を説明、助手席のドアを開けました。
一瞬『しまった!!どうしよう。助手席には乗ってはいけないという鉄則が頭をよぎりました』
すると警察官はドライバーと握手を交わし私のことを頼んで、説明が終わると後部座席へ私に乗るようススメました。
私は「ありがとう❢(日本語でしっかりと)次にThank you・・
何度もThank you」とお辞儀をして・・無事何事もなくブリティッシュカウンシルに着きました。
ドバイの警察官、国民の親切に感動した忘れられないできごとでした。
余談だが、その日の晩私は寝言で「No Problem」と言っていたようです。
寝言も英語で言えるようになりました。!(^^)!
*58歳の英語の話せないオバサンの3年間(2011年3月~2014年3月)のドバイ生活の記録です。
*国際コミュニケーション キーワードは ・度胸 ・好奇心 ・サービス精神
第10話 英語学校やめる
ブリティッシュカウンシル入学1か月が立ち、改めて目的、達成度について考えてみた。
結果、やめることにした。😢 理由は
・目的は外国人とコミュニケーションがとれるように英語をマスターすることだ
が、英語のわからない自分が英語での授業を受けても理解は難しい。
・結果、日常生活で外国人と会話を多くすることがより達成度アップになると考
えた。
親しくなったクラスメートと最後の日、先生を囲んで集合写真をとった。
今でもその写真を眺めていると、自分でも違う自分をみてる気がする。
懐かしい!! 写真だけをみると英会話が聞こえてきそう。カッコイイ。
みんな笑顔が素敵!!なかでもリビアの姉妹の存在感がすごい!!
写真にタイトルをつけるとすれば 笑顔は世界をつなぐ🌸🌸・・🌸
南アフリカの彼女と再会を約束。我が家にお招きすることにした。
約束の日、私は授業終了に合わせ彼女を迎えに教室へ行くと、一番若い地元の
男の子たしか名前はムハンマド君が私に気付き窓越しに「MIEKO、MIEKO」と手招きした。
さすがに恥ずかしく教室へは入らず、休憩室で待っていた。
それから、授業終了後英語の話せない南アフリカの彼女とふたりで我が家に向かいました。つづく・・・。
*58歳の英語の話せないオバサンの3年間(2011年3月~2014年3月)のドバイ生活の記録です。
*国際コミュニケーション キーワードは ・度胸 ・好奇心 ・サービス精神
第11話 南アフリカ出身のクラスメートを我が家へ
わずか1か月のブリティッシュカウンシルでのクラスメート、南アフリカの彼女を我が家へ案内することに。
レジデンスへはまずカルフールで買い物を済ませ、モールを通り抜けて行くのだが、ふたりで歩く様子をピエールカルダンのイケメンスタッフとかがジーっと見てる。
アレ?あのマダム?・・・?
視線をビンビン感じた。
それはそうだ。
ふだん声をかけられたら「英語は話せない」と言っているマダム(オバサンもドバイではマダムと呼んでくれる。!(^^)!) が南アフリカの背の高い、まぁすこし太めの彼女とおしゃべりしながら歩いているからだ。
自分でもふしぎなくらい会話が弾んでいた。
無事モールを通過。
次はプールサイドを通り抜ける。そこにはプール管理人のフィリピン人が何名か
いて、やっぱりニコニコしているものの不思議そうに見ていた。
いよいよレジデンスへ。
ガラス張りのエレベーターで我が家へ。
今度はレジデンス受付のスタッフとドアマンの驚きの視線を感じる。
きっとみんな目がてんになっていたかと。
ドアマンにドアを開けてもらっても「アリガトウ!」としか言わない私が外国人と一緒なのだ。びっくりしたはずだ。
そこでもやっぱりアレ?アレ?・・・なんだあの英語の話せない日本人マダム
エレベーターはすぐに5階へ到着。
私は何語で会話したかわからないうちに手巻き寿司とかでおもてなし。
彼女も日本食がはじめてらしくとても喜んでくれた。
1か月の学校ではあったが人生で貴重な語学留学でした。・・・。
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第9話 忘れられないドバイの警察官 - 国際コミュニケーション
*58歳の英語の話せないオバサンの3年間(2011年3月~2014年3月)のドバイ生活の記録です。
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第12話 我以外皆我師
ブリティッシュカウンシルを紹介してくださったお隣のオーストラリア人のリンに、学校をやめた報告で成績表を持って訪ねた。
部屋に案内され、授業の様子など聞いた後で、「明日から私が教えましょうか」と言われた。・・なんて優しい!!
感謝しつつ丁重にお断りした。
理由はリンは忙しいキャリアウーマンなのだ。
私のお断りの理由が通じたようだった。
話を聞きながらよく笑っていた。!(^^)!
翌日から時々モール内にあるカフェ「ポール」に誘っていただいた。
その際は辞書を持つよう言われた。
(今では本棚に思い出の品としておかれている辞書。ページをめくるとあの時の時間が昨日のことのように鮮明に思い出される)
リンはいつも飲み物はきまってキャロットジュースだった。
私にも目にいいからそれを勧めていた。・・。あぁ~懐かしい。
1時間~2時間ほどいた。
ある日、二人でリンの取り置きの品を受け取りにモール内のショップに行った際
近くに日本のブランド「ミキモト」があった。
高級感が漂い made in Japan をとても誇りに感じた。
で、その時私のフェイクパールのリングを見て「ミキモト?」とリンが聞いた。
私が「25ディルハム(日本円で1000円ほど)の安物」だというと笑いながら「ミキモトに見えるよ」と冗談も通じた。!(^^)!
その後友人にリンのことを話すと
「オーストラリア英語は訛りがある」という。
また、まわりの日本人が「英語を習うならネイティブの人に習うのがいい」と口にする。
ネイティブ・・ネイティブ・・聞くたびに私はネガティブになりそうだった。
私のレベルは何でもいいじゃん・・通じたらそれだけでいい。そう思った。
何を言ってるかわからないといわれるインド人も私からするとみんな
先生だった。 「我以外皆我師」である。
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第13話 日本語OK!!
日本語OKです。
レジデンスの売店の近くに大きなソファーがあった。
そこで父親が2歳くらいの女の子を「高い、高ーい」とあやしていた。
私は、その子がとてもかわいく思わず「かわいい!!」と立ち止まった。
すると父親が「アリガトウゴザイマス」と返した。
私はショップのスタッフ以外はじめて耳にした外国人の日本語だった。
驚いた私に父親が言った。
「九州大学に留学していました。」・・・・。
イギリス人の弁護士だという。
それから日本のこといろいろおしゃべりして、私は日本から用意した「五十音表」をプレゼントした。
その後プールサイドで知り合ったエミリーが、そこのメイドで不思議なご縁が続いた。
日本語もOKです。!(^^)!
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第14話 友人エミリー
友人エミリーとの出会い
レジデンス敷地内のプールサイドでフィリピン人の女性と女の子が遊んでいた。
私はこんにちはと声をかけた。
彼女の名前はエミリー
後でわかったことだが、第13話の九州大学留学経験のあるイギリス人弁護士宅のメイドだった。
私はエミリーに聞いた。
部屋のキッチンにあるグリルの使い方教えていただけませんか?
*レジデンスの担当者に説明してもらうもよく理解できなかったため
エミリーはにこにことOKだった。
で、私があなたの雇い主に承諾を得るためお会いしたい旨エミリーに説明。
ふたりでご挨拶に行った。結果はOK。
エミリーがお休みの日、我が家に来てグリルの使い方を教えてくれた。
それからはエミリーは我が家にお休みの日とか遊びに来てはいろいろな話をした。
例えば奥様はオーガニックスーパーだけを利用しているという。
お陰で私もその店を知ることができ利用した。帰国した今でもそこの麻袋のような大きな袋がエコバックになり、懐かしく思い出している。
また、時には仕事の愚痴をこぼすことも。内容はもうひとりいるメイドを奥さんがとてもエコヒイキしているとか 😢・・😢
(もちろんエミリーは英語だった。。。)
その後もよくお付き合いした。
弁護士の奥様に許可を得てエミリーは業務終了後、ライトアップしたテニスコートで私とテニスをした。
うれしいことにテニスがはじめてという彼女に奥様がシューズをプレゼントしてくださった。
下手な自分が言うのもなんだが、エミリーと私のそれはまるで羽根つきのようだった。
広いコートにボールが飛んで私もヒィーヒィ、ハァハァ言いながらボールを拾い、隣のコートで華麗にプレーしている相手のコートへボールを取りに行くのはさすがに恥ずかしかった。 Sorry・・Sorry・・Thank You ●●● 👣
が、エミリーのお陰で目的の運動不足解消にはなった。感謝!!
私が帰国する際、エミリーは「テニス楽しかったよ」と喜んで話してくれたのを
覚えている。
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