第50話 コミュニケーションで救われたドバイ最大のピンチ
ビンのお陰で出会ったジョアンナのご主人との出会いは神様の演出だったにちがいないと後で気づいた。
49話の続きです。
就職試験に合格も採用を辞退WAFIMALLの警備員として働くことになったジョアンナのご主人の人材を我夫婦は「もったいない」と感じた。
夫の職場には私たちの帰国と同時期に定年を迎えるベテランスタッフが
いた。彼は夫の職場の設立以来30年もの、日本人のすべてをお世話してきた。入出国手続きから住居等生活の全てである。
私たちは生活が難なくできた。すべては彼のお陰だった。
あくまでも理想だがその彼の後任にジョアンナのご主人をと思ったものだった。
それから何日たっただろうか・・・?
忘れもしない4月10日、ベテランスタッフが急逝した。
人事異動後の4月ということで日本から職員が入国したばかりの直後だった。慌ただしく私も夫と病院へそして最後のお別れをした。
3年間のドバイ生活でいちばん悲しい出来事だった。
夫にとっては予想だにしない出来事で最大のピンチだったにちがいない。
それを救ったのが結果としてジョアンナのご主人だった。
理事会の面接等全てをクリアしたうえで後任に就いた。
もちろんジョアンナご夫妻はとても喜んだ。ジョアンナは涙を流して私に「ありがとう」そう言うとハグをした。
理事会面接を受けることになった日から結果を待つ間毎日のように教会に行ったと聞いた。
途中私が「万が一不採用の場合はごめんね」そう言うと、
「チャンスをいただいただけで感謝している。結果は神様が決める」
ジョアンナのあの言葉を忘れることはない。
ジョアンナに頼まれてご主人の就職がうまくいくよう我が家で食事会をしたが、救われたのは私達夫婦だった。
だから食事会は神様の演出だったにちがいない。そう思えた。
「情けは人の為ならず」である。
友人ビンの紹介で知り合ったジョアンナ、そのご主人・・・と、コミュニケーションの結果である。
当ブログで日々外国人との楽しいお付き合いを綴ってきたが、ドバイに来た目的は言うまでもなく夫を支えるためである。
仕事の厳しい夫と二人三脚の日々であった。
それゆえジョアンナ、ジョアンナのご主人を紹介したビンは私にとって忘れることのない恩人である。
2014年3月ドバイを去る日が来た。
プールの管理人、時々利用したジムのスタッフに挨拶に行った。
レジデンスのドアマンのラージとかスタッフはじめWAFIMALLから仕事を抜け出し来てくれたルーシーとかと皆で集合写真を撮ってお別れした。
もう二度と会えないそう思うとやはりこみあげるものがあった。
空港ではアブダビから駆けつけてくれた親子がいた。
ドバイでお世話になったエジプト人の友人だった。
後ろを振り向くと柱の側に彼女がいた。
日本の会社に勤務経験のある日本語を流暢に話す才媛だった。
全身を黒い服で覆っている。出会った頃の彼女は顔は見せていた。
お別れの時はきれいな顔も覆ってニカブに変わって目の部分がわずかに開いていた。それでもすぐに彼女だとわかった。。
ドバイではじめて食べたシュワルマは彼女にいただいた。
そんないろいろな思い出が交錯するなかドバイを後にした。
当ブログは私の3年間のドバイ生活の記憶を記録にしました。
コミュニケーションで得られた多くの体験をこれから外国へ行かれる方、現在海外生活をされている方にお伝えできればとブログをはじめました。
すこしでもお役に立てたならうれしく思います。
拙いブログをお読みいただき心から感謝申し上げます。
皆様のアクセスが励みとなり無事50話書くことができました。本当にありがとうございました💛💛💛